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我慢の有意味性について

新聞やニュースは、経済、文化、芸能などなど…その日あったことや近況を読者にわかりやすく手頃に教えてくれる媒体であるが、ほぼ毎日のように新聞やニュースを賑わせている出来事がある。

その一つに、暴行、傷害、殺人といった記事である。

それら事件の背景は様々であるものの、その当事者の感情の高揚を抑制すれば防げたもの、ないし、事件発生に繋がらなかったものは少なくないように思う。

一つ一つの事案はまさに千差万別であるし、もちろん、当事者の立場にならなければその心境さえ理解するのは困難を極めるだろう。

だからと言って、人として法のもと、社会の中で生きていく上でやっていいことと悪いことは必ず存在するのだから、ムカついたとか、イライラしたからといって、果たして思ったままの感情で動いていいのかと言ったら社会が許さないのは言うまでもない。

人は、当然生き物であるから、喜怒哀楽が存在する。
従って、外的要因により何かしらの影響を受け、リアルタイムでその感情は激しく起伏しているのかもしれない。

それと同時に、人はそれぞれ年齢を重ねる度に我慢を覚え、その感情を理性によってコントロールするようになる。


私が思うに、その理性による我慢が出来るか出来ないかが肝要なのである。


私は先日、全くの他人に間接的な中傷を受けた。

その瞬間、怒りを覚え、電気が流れるが如くアドレナリンが一気に高まった。

しかし、ふと我にかえり考えたのである。

果たして、このままの感情を相手にぶつけたらどうなるのだろうか、と。

当然、その感情のまま相手に訴えれば、その瞬間はストレスが解放されるだろう。
しかし、そのあとは一体どうなるのだろうか?

他の人には様々な迷惑がかかるだろうし、警察沙汰という最悪な事態も充分に想定出来うる。

そのような状況はまったくメリットもないし、何も生まれないし意味もない。

そうであるならば、その場はジッと我慢し、その場所を離れれば冷静になれるし、幾分か感情もおさまる。
それでもおさまらなければ、趣味に没頭すればいい。

私の場合、多大なストレスを感じた際には、スポーツジムで思う存分自分の筋肉に怒りをぶつけたり、バッティングセンターで特打ちし、打球に怒りを込めれば良い。

そのほうが筋肉がつくし、メンタルヘルス的にも良い、まさに良いこと尽くしである。


私が体験した本件事案もそうであるが、いくつものストレス要因が存在する昨今。

感情のままで行動するのは、恋愛や大切な試合など、時に思い切りがあって良い結果を生む場合もあるが、大抵はそうでない場合も多い。

我慢し、落ち着くことのメリット、そうしなかった時のデメリットを考え、冷静に行動することこそが、余計なトラブルに巻き込まれない賢い生き方であると言えよう。



今回の記事を作成するにあたり、私宛てに某掲示板にて問いかけがあったので、この記事をもって回答とかえさせていただきますm(__)m
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テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

感情のコントロールって難しい

No title

>>チョコボ
人間は機械じゃないから余計に難しいよな
感情の起伏があるのは良くもあり悪くもあるかもね
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